プロレスリング・ノア中継

先週お休みの分今週は60分スペシャル。王者KENTAへのGHCジュニアヘビー級選手権次期挑戦者決定トーナメントの模様から。8人が参加したこの時間差バトルロイヤルを制したのは杉浦貴だった。


タイトルマッチは杉浦がパンクラスマットに上がる時に練習したキックやパンチを使ってKENTAを攻撃した。KENTAはペースを乱されてしまったらしくいつものような一気呵成に攻めるリズムが取れず、また疲労の蓄積が早くて中盤あたりでかなりバテテしまった。杉浦はリミットギリギリの99kgの体重を生かしてスピアーやオリンピック予選スラムなどで攻め続けて最後はグラウンドのアンクルホールドでKENTAからギブアップを奪って新王者誕生となった。KENTAが負ける姿は久しぶりに見たから軽い衝撃があった。


プロレス雑誌によると試合後の記者会見で「ススキノで3発抜きます。あっ、息抜きのほうですよ(笑)」って言ったらしいけどテレビではカットされてた。


放送の最後でジョン・テンタさんがお亡くなりになった一報が伝えられた。テンタさんは大学を中退してカナダから来日し相撲部屋に入門。琴天太(ことてんた)、琴天山(ことてんざん)の四股名で活躍した後、87年に故ジャイアント馬場さん率いる全日本プロレスに入団。その後WWEに入ってカナディアン・アースクエイクに改名してタイフーン(旧タグボート)とのタッグチーム、ナチュラル・ディザスターズで大暴れした。ハルク・ホーガンと抗争したこの頃が全盛期だと思う。WWE離脱後はWCWにも参戦。離脱後は日米の各インディー団体に上がっていた。03年に見つかった膀胱ガンと長期の闘病をしていたが42才の若さでこの世を去った。196cm、158kgの巨体を使ったパワーファイトを得意とし、必殺のヒップドロップは誰も返すことができなかった。SWSの試合中に北尾光司(当時)から「この八百長野郎!」と言われた当事者としても有名。*1


ジョン・テンタさんのご冥福を心からお祈りします。

*1:これは思うように行かないレスラー生活に鬱憤が溜まっていた北尾の暴言。テンタさんはアマチュアレスリングの猛者でシュートなら北尾は勝ち目なかっただろう。この件が引き金で北尾はSWS追放。